2010年2月19日金曜日

「十中八九間違いない」で話をしている

「今日は遊女の日?」
そう聞こえた。会社のヘルプデスク担当の方の一言。
でもここは職場だ。そう言ったわけじゃないだろう。
遊女という単語が出てくるのがおかしい。
それほど込み入った話をする仲でもないのだから。

というところから考察が始まった。

■情報取得
「今日は遊女の日」と聞こえた。
 >耳に入ってきた音を
  頭の中にある一番近い単語に置き換えたときにこうなった。
  (きょう・は・ゆう・じょ・の・ひ)

 ⇒これは文脈的に変だぞ(違和感)

■推測
・「○○の日」という言い方は、「○○がある日」か?
 >そういえば以前、「チーズの日」というのは、
  近所のチーズ卸問屋さんのガレージセールがある日、だったな。
  そういうことがあった。
・音は?音。
 遊女(ゆうじょ)
  りゅう?じゅ?
 >「りゅうじゅの日」龍樹?竜珠?りゅーじゅ?リュージュ(あっ!)

 ⇒ソリみたいなので、ひとり乗りとかふたり乗りとかあるアレか!

■仮説・検証
「リュージュの日」とおいてみる。
 >今はバンクーバー五輪やってるじゃないか。
 >オリンピックの話とかなら、「世間一般」の話題としてあげやすい。

■結論
「今日はリュージュの日?」


げふー。
人間って、こういうことを瞬時に考えながら、
シナプスの分岐点を、すごい早さで行ったり戻ったりして
他人とコミュニケーションをとってるんだ。


ただ、こうやって導き出しても、
本当に「遊女」だったりするので、油断はならないんだがー。
(その場合は情報収集からやり直し)

やりとりの奥の処理のどこに
楽しいと感じたり、負担だと感じたりしているかで
「この人との会話が楽しい」という“印象”につながるのかもしれない。

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